2011年5月30日(月)
緩やかな坂道の先に、ベルラッハ塔と市庁舎が見えてきます。
広場から見た市庁舎、
際立つ白い壁、左右対称の幾何学的な窓、左右2本の葱坊主等が印象的で魅力的な建物です。
建物の中心の天辺には、市の紋章になっているツィルベルヌス(図案化されたマツカサ状の種子)が乗っています。
際立つ白い壁、左右対称の幾何学的な窓、左右2本の葱坊主等が印象的で魅力的な建物です。
建物の中心の天辺には、市の紋章になっているツィルベルヌス(図案化されたマツカサ状の種子)が乗っています。
ベルラッハの塔
高さ70mの現役の鐘楼です。
高さ70mの現役の鐘楼です。
258段の階段を登って塔の上に出ます。
遠くに大聖堂の偉容を望めます。
南には、市庁舎の葱坊主とマツカサの向うに聖ウルリヒ教会が見えます。
市庁舎の3階には黄金のホールがあります。
光り輝く大ホールです。
光り輝く大ホールです。
天井の装飾も目を見張る豪華さです。
奥の扉の前には、立派な演説台があります。
写真を少し暗くしてありますが、大演説をブッテいる人が見えますか?
写真を少し暗くしてありますが、大演説をブッテいる人が見えますか?
市庁舎の先の石畳の路地を下って、
風情のある街並みを抜けてみることにします。
風情のある街並みを抜けてみることにします。
マンホールの蓋にも、市の紋章が。
雰囲気のよい店が並ぶ水路沿いの小路に出ました。
大通りを横切り、世界最古の社会福祉集合住宅 フッゲライ(←クリック)を訪ねます。
16世紀初頭ヨーロッパ有数の富豪であったフッガー家の
ヤコブ・フッガーらが貧者の家として建てた147戸(67棟)の集合住宅です。
16世紀初頭ヨーロッパ有数の富豪であったフッガー家の
ヤコブ・フッガーらが貧者の家として建てた147戸(67棟)の集合住宅です。
現在でも多くの人が住んでいます。
家賃は、設立当時から変わらず、0.88ユーロ/年となっているそうです。
家賃は、設立当時から変わらず、0.88ユーロ/年となっているそうです。
大通りに戻り、フォーゲル門を抜けて、
聖ウルリヒ教会を目指します。
聖ウルリヒ教会を目指します。
マクシミリアン通りの南の端に、大小2つの聖ウルリヒ教会が、堂々たる姿を見せています。
手前の小さい教会が、1525年プロテスタントの教会となった聖ウルリヒ教会で、
奥の大きい教会が、カソリックの教会で聖ウルリヒと聖アフラが葬られている
聖ウルリヒとアフラ教会です。
手前の小さい教会が、1525年プロテスタントの教会となった聖ウルリヒ教会で、
奥の大きい教会が、カソリックの教会で聖ウルリヒと聖アフラが葬られている
聖ウルリヒとアフラ教会です。
聖ウルリヒとアフラ教会の聖堂は、落ち着いた色合いの荘厳なものです。
聖ウルリヒ教会を後にして、マクシミリアン通りを市庁舎に向かって進んでいくと、左手に
シェッツラー宮殿
(銀商人・銀行家のリーベルトの住居兼商館)
(銀商人・銀行家のリーベルトの住居兼商館)
フッガー・ハウス
(豪商フッガー家の屋敷兼商館)
(豪商フッガー家の屋敷兼商館)
などが軒を連ねています。
市庁舎の手前を左に折れ、歩行者天国を暫く進むと前方に聖アンナ教会が姿を現します。
ここは、マルティン・ルターが1518年10月に身を寄せていた所です。
滞在した部屋が宗教改革記念室として公開(月曜は15:00から)されているというので時間を合せて訪ねたのですが・・・・・・。
滞在した部屋が宗教改革記念室として公開(月曜は15:00から)されているというので時間を合せて訪ねたのですが・・・・・・。
現在改装中ということで、週日は閉鎖。
受付の女性が、「折角日本から来たのに・・・」としきりに申し訳なさがってくれました。
受付の女性が、「折角日本から来たのに・・・」としきりに申し訳なさがってくれました。
電車通りに出て、市立劇場前から4号線に乗って中央駅前のホテルに戻ります。
駅前にある、地ビール (Riegele)の直営レストランでビール夕食をとります。
昼食で飲んだ銘柄と同じで、中央駅のホームの傍に醸造所があります。
中庭で飲んだビールはコクがあってとても美味しかったのですが、
料理は、量が多いのと塩辛いので、半分程しか食べられませんでした。
料理は、量が多いのと塩辛いので、半分程しか食べられませんでした。
明日は朝早い列車でハイデルベルクに移動します。
ホテルに帰る前に、駅に寄って、発車時刻と番線を確認します。
ホテルに帰る前に、駅に寄って、発車時刻と番線を確認します。
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