2011年6月5日
今日は、ウィーンへ移動します。
ホテルの豪華(?!)な朝食で、今日1日の活力を仕入れます。
これが、私の今回の旅姿です。
鳥打帽子を被り、ウィンド・ブレーカーにGパン、ウォーキング・シューズにザック(28㍑)といういでたちです。ザックには、綿のフード付き軍用合羽(もどき)が掛けてあります。
(駅のガラスに写っています。)
鳥打帽子を被り、ウィンド・ブレーカーにGパン、ウォーキング・シューズにザック(28㍑)といういでたちです。ザックには、綿のフード付き軍用合羽(もどき)が掛けてあります。
(駅のガラスに写っています。)
8:02 ザルツブルク中央駅発 ウィーン西駅行き Rail Jet(RJ765)を待ちます。
定刻より5分早く、インスブルック中央駅発列車が入線してきます。
発車して10分余り、ヴァレル湖の畔を通過します。
車内はガラスキです。私の他にもう一人乗って'''いるだけです。
リンツの手間で、200km/hの速度が、車内表示されました。
途中、リンツ中央駅(ザルツブルクから127km、9:09着、9:12発)、サンクト・ペルテン中央駅(ザルツブルクから257km、9:09着、9:12発)に停車して、
10:44
ウィーン西駅(ザルツブルクから317km)に着きます。
先ずは、駅の案内所で、ウィーン・カード(←クリック)(18.5ユーロ)を購入します。
地下鉄(Uバーン)、バス、市電の72時間乗り放題。さらに観光名所、カフェ、レストラン、ホイリゲ、ショッピング等で、いろいろな割引があります。
10:44
ウィーン西駅(ザルツブルクから317km)に着きます。
先ずは、駅の案内所で、ウィーン・カード(←クリック)(18.5ユーロ)を購入します。
地下鉄(Uバーン)、バス、市電の72時間乗り放題。さらに観光名所、カフェ、レストラン、ホイリゲ、ショッピング等で、いろいろな割引があります。
西駅を出たところで、古典的路面電車を見掛けました。
前の銘板に誕生日特別列車(Geburtstagsonderzug)と書いてあります。
貸切専用車両(←クリック)のようです。
2447号車、1913年製(←クリック)です。
前の銘板に誕生日特別列車(Geburtstagsonderzug)と書いてあります。
貸切専用車両(←クリック)のようです。
2447号車、1913年製(←クリック)です。
今日の泊まりは、ウィーン西駅から路面電車で1つ目の停車場の前にあるホテルです。
朝チェックインを許されて、荷物を置いて早速、ウィーン観光に出掛けます。
朝チェックインを許されて、荷物を置いて早速、ウィーン観光に出掛けます。
午後一杯歩き回る予定ですので、ホテル並びの路上カフェで、
ビール昼食をとることにします。
ビールは、1708年創業の地ビール(Zwettler)です。
ビール昼食をとることにします。
ビールは、1708年創業の地ビール(Zwettler)です。
腹拵えを終えて、いよいよ、出発です。
西駅駅前から地下鉄(Uバーン)を乗り継いでオペラ座(Oper)駅に。
オペラ座の前から、
中心部の周りを取り囲む道路、リンク(輪)を走る路面電車に乗って、
下見を兼ねて車窓から眺めてみることにします。(車窓観光!)
中心部の周りを取り囲む道路、リンク(輪)を走る路面電車に乗って、
下見を兼ねて車窓から眺めてみることにします。(車窓観光!)
時計回りに廻ってみます。
ところが、走り始めて直ぐに、新王宮を過ぎて国会議事堂の手前辺りで、停車したまま、動かなくなってしまいました。
暫く待っていた所、運転手が・・・・・・!と早口で怒鳴ったのを聞いて、地元の人(ドイツ語の解る人?)がゾロゾロと降り始めます。
どうも故障のようです。
ということは、皇族の電車もこの先には行けないと判断して、このままリンクを歩いて廻ることにします。
下見なしで、案内書片手に、ぶっつけ本番です。
ところが、走り始めて直ぐに、新王宮を過ぎて国会議事堂の手前辺りで、停車したまま、動かなくなってしまいました。
暫く待っていた所、運転手が・・・・・・!と早口で怒鳴ったのを聞いて、地元の人(ドイツ語の解る人?)がゾロゾロと降り始めます。
どうも故障のようです。
ということは、皇族の電車もこの先には行けないと判断して、このままリンクを歩いて廻ることにします。
下見なしで、案内書片手に、ぶっつけ本番です。
国会議事堂
1883年完成。
1883年完成。
市庁舎
1873年完成。
塔の高さは98m、その上に5mの市庁舎の男(Rathausmann)が乗っています。
1873年完成。
塔の高さは98m、その上に5mの市庁舎の男(Rathausmann)が乗っています。
振り返ると、リンクの向こう側に堂々たる造りのブルク劇場が目に入ります。
1888年完成。
1888年完成。
搭上の彫像と中央のレリーフが金色に輝くモニュメントです。
銘板の写真を撮ってなく、観光案内書、グーグル・アースにも説明が無いので、詳細が判りません。
銘板の写真を撮ってなく、観光案内書、グーグル・アースにも説明が無いので、詳細が判りません。
1873年創業のカフェラントマンです。
ウィーン大学
1365年に創設された、ドイツ語圏最古の大学。
大学正面からリンクを挟んだ所に、ベートーヴェンが1804年から10年以上住んでいて、交響曲第5、第6、第7やエリーゼの為に等を作曲したバクティラティハウスがあります。
悔やんでも悔やみきれませんが、観光案内書の違う頁を開いていて、後で気が付いたのです。
1365年に創設された、ドイツ語圏最古の大学。
大学正面からリンクを挟んだ所に、ベートーヴェンが1804年から10年以上住んでいて、交響曲第5、第6、第7やエリーゼの為に等を作曲したバクティラティハウスがあります。
悔やんでも悔やみきれませんが、観光案内書の違う頁を開いていて、後で気が付いたのです。
ドゥ・フランスホテル
1872年創業。
1872年創業。
建物の影から、魅力的な尖塔が頭を出したりしています。
証券取引所
道路脇で見付けました。
SIND DIR WURST?と書かれています。
始めは、直感的に「これらは君のソーセージなの?」と言う意味かなと思ったのですが、
「dirは3格で・・・・・・?」と思っていたら、次のような記事を見付けました。
SIND DIR WURST?と書かれています。
始めは、直感的に「これらは君のソーセージなの?」と言う意味かなと思ったのですが、
「dirは3格で・・・・・・?」と思っていたら、次のような記事を見付けました。
いずれにせよ36ユーロの罰金を取られるようです。
ルプレヒト教会
740年頃創建された、ウィーンで最も古い教会ということです。
740年頃創建された、ウィーンで最も古い教会ということです。
ここでリンクを離れ、街中へ入って行きます。
この街の中心に聳えるシュテファン寺院です。
12世紀半ばに建てられ、14-5世紀に今の姿に改装されたものだそうです。
12世紀半ばに建てられ、14-5世紀に今の姿に改装されたものだそうです。
正面は、改装中で、幕が掛かっています。
中に入ってみると、鮮やかな色合いのステインド・グラスを通した光が、柱や壁に映って幻想的な情景になっています。、
祭壇も一層厳かな雰囲気を醸し出しています。
一旦外に出て、向かって右側の南塔に登ってみます。
前に書いたように、ウルム、ケルン(いずれもドイツ)に次いで世界で3番目の高さの教会の塔だそうです。
前に書いたように、ウルム、ケルン(いずれもドイツ)に次いで世界で3番目の高さの教会の塔だそうです。
7×7×7=343段の階段で、
137mの塔の
67mの所まで登ります。
137mの塔の
67mの所まで登ります。
この寺院の屋根は、瓦で描いた紋章や
モザイク模様となっています。
寺院の周囲が狭い為に、下からではなかなか
この美しい文様を見ることは難しくなっています。
モザイク模様となっています。
寺院の周囲が狭い為に、下からではなかなか
この美しい文様を見ることは難しくなっています。
下に下りて、繁華街を歩いていると、趣のある店が彼方此方に見られます。
ゲルストナー
1847年創業。
ゲルストナー
1847年創業。
素晴らしい窓周りの装飾です。
通りを逸れると皇室の納骨所であるカプツィーナ教会がひっそりと建っています。
1663年以来、ハプスブルク家12人の歴代皇帝の棺が納められています。
1663年以来、ハプスブルク家12人の歴代皇帝の棺が納められています。
アルベルティーナ広場には、
戦争とファシズム(ナチス)を告発する記念碑があります。
前に立つ2本の石柱の後ろにある黒っぽい石の塊は、何なのかよく判りませんでしたが、帰国後調べた所、
ユダヤ人が這い蹲らされて石畳を磨いている像だそうです。
戦争とファシズム(ナチス)を告発する記念碑があります。
前に立つ2本の石柱の後ろにある黒っぽい石の塊は、何なのかよく判りませんでしたが、帰国後調べた所、
ユダヤ人が這い蹲らされて石畳を磨いている像だそうです。
左後に見える尖塔は、14世紀に建造されたハプスブルク家縁のアウグスティ-ナ教会の塔です。
広場の前には、全く趣を異にするアルベルティーナ宮殿があります。
中に、ルーベンス、ミケランジェロ、レンブラント等の素描画、版画などを多数所蔵する美術館がある、華やかな建物です。
中に、ルーベンス、ミケランジェロ、レンブラント等の素描画、版画などを多数所蔵する美術館がある、華やかな建物です。
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