2026年08月
夏の隅田川大江戸ライトアップクルーズ
8月28日
開放的なオープンボートで眩しい夜のクルージング、東京の夜の風景を気持ちの良い川風を感じて楽しもう!という触れ込みの
『夏の隅田川大江戸ライトアップクルーズ』(阪急交通社)に行ってきました
集合は,18;00 JR両国駅西口です

先ずは腹拵え 旧両国駅を改装した

両国江戸NOREN街の、土俵を囲む

日本ばし やぶ久 へ

せいろと夏野菜の天麩羅を頂きます

土俵際には、照ノ富士(伊勢ケ濱親方)の横綱も飾ってあります

集合後、ガイドさんの案内で、国技館の前を通って

乗船場へ向かいます

川下から、『開放的なオープンボート!?』がやってきました

甲板に椅子だけが並んだ台船です
新大橋(1977年 2径間連続鋼射張橋 長さ170m 幅 24m )

元禄6年(1693年)に隅田川で2番目に架けられた橋です。歌川広重の浮世絵や
ゴッホの描いた絵画のモデルとしても知られ、関東大震災の際には周囲の橋が崩落
する中で無事残り、多くの命を救った『タスケ橋』の逸話が残る、歴史と現代的な
美しさが調和したスポットです。両国橋(大橋)の下流側に『新しい大橋』として
架けられたのが名前の由来です。
東側の深川エリアは、かって松尾 芭蕉が暮らした『芭蕉庵』がおかれ、芭蕉ゆかり
の物やエピソードが一杯です。 <ツアーの案内資料>
清洲橋(1928年 鋼3径間連続自碇式補剛吊橋 長さ186m 幅 26m )

ドイツ・ケルンの吊橋をモデルにした『震災復興の華』と称される優美な吊橋で、
2007年に国の重要文化財に指定されました。日本初の自碇式補剛吊橋という珍しい
当時の最先端の形式を採用しており、それが女性的な美しさがあると言われ、下流に
架かる永代橋の男性的なダイナミックスさと合わせて人気があります。
<ツアーの案内資料>
DAIWAリバーゲート

『門』をイメージしたデザインとビル風の軽減の風抜きの穴だそうです
隅田川大橋長さ(1979年 鋼3径間連続桁橋 長さ 196 m 幅 30 m )
高速道路と上下2層となっていて、ライトアップもなかったので、
写真を撮り損ないました
永代橋(1926年 鋼3径間タイドアーチ(下路式) 長さ185m 幅 22m )

元禄11年(1698年)に初めて架けられました。5代将軍徳川綱吉の、50歳を祝う橋
として架橋されたといいます。江戸と深川を結ぶ重要な橋として多くの人に親しまれ
ました。赤穂浪士も本所吉良邸から泉岳寺へ向かう際に渡ったといいます。
文化4年(1804年)には、富岡八幡宮の祭礼に向かう大勢の人で混雑し、橋が崩落して
多数の犠牲者を出した悲劇の歴史もあります。
<ツアーの案内資料>
中央大橋(1993年 2径間連続鋼斜張橋 長さ211m 幅 25m )

隅田川とセーヌ川との友好河川提携記念し、フランスの会社が日本の『兜』を
イメージして設計しました。橋の上には当時のパリ市長ジャック・シラク氏から
贈られたブロンズ像『メッセンジャー』が置かれています。
この橋の完成により、当時開発中だった高層マンション群『大川端リバーシティ21』
から都心が一気に身近になりました。また地震や火災などの災害時に。川を渡って
安全な都心側へ避難するための頑丈なルートが確保されました。
<ツアーの案内資料>
余談ですが、凜のパパは、1996年、勤務先が新川にあったことから、地元の
『新川越一』町会の一員として富岡八幡宮の十五番神輿を担ぎました

石川島灯台跡

江戸時代の常夜灯を再現したものです。慶応2年(1866年)に、隅田川河口や品川沖を
行き交う船の安全の為、人足寄場の収容者たちによって築かれました。油絞りの利益を
使って建てられた六角二層の常夜灯で、周辺の漁師たちにとても喜ばれました。
<ツアーの案内資料>
佃大橋(1964年 3径間連続鋼床鈑箱桁橋 長さ476m 幅 25m )
橋の向って左側が、正保元年(1644年)に埋め立てられた佃島です
東京オリンピック開催に伴う交通渋滞の緩和を目的に架けられました。それまでは、
江戸時代初期(1645年頃)から『佃の渡し』と呼ばれる渡し舟が運行されており、
江戸市中と結ぶ唯一の交通手段でした。隅田川流域で最後まで残っていた渡し舟
でしたが、佃大橋の竣工により、320年以上の歴史に幕を下ろしました。
戦後初めて隅田川に架けられた橋であり、大きなブロックをあらかじめ製造し、
日本最大の会場クレーン船で一気に組み立てるという、当時としては最新の工法が
採用されました。 <ツアーの案内資料>
聖路加タワー

聖路加病院(St. Luke's International Hospital)の敷地内で最も隅田川寄りの
街区に建設された超高層ビルディングの棟で、47階建てと38階建ての高低差がある
特徴的なデザインのツインタワー構造で、東京湾岸のスカイラインを造形する
代表的な建築物として知られています。 <Wikipedia>
勝鬨橋(1940年 長さ476m 幅 25m
シカゴ型双葉跳開橋(可動橋)+両側 鋼タイドアーチ橋(3径間))

昭和15年開催予定だった日本万国博覧会(その後開催中止)のメインゲートとして
竣工しました。当時は大型船が出入りしていたため、中央部が可動式となっており、
完成当初は1日数回開いていました。しかし交通量の増加に伴い、1970年11月に開閉を
停止しています。国内最大級の可動支間ヲもつ技術的完成度の高い橋として、2007年に
国に重要文化財に指定されました。 <ツアーの案内資料>
橋の中央をハの字に開く運転所

築地大橋(2015年完成 2018年開通 3径間連続中路式鋼アーチ橋 長さ245m 幅 32m~48m )

橋の右側手前が築地市場跡、奥が浜離宮恩賜公園です
隅田川の最下流に位置し、最も新しい橋です。2つのアーチが外側に開いて立っており、
力学的に安定しながらも美しさも際立っています。築地から豊洲への市場移転が大幅に
遅れたため、開通は2018年となり、その間、夜間のライトアップだけが静かに点灯する
『渡れない幻の橋』として話題となりました。 <ツアーの案内資料>
高層ビルの谷間に東京タワーが見えています

竹芝桟橋 小学校の臨海学校は、ここから船で千葉県保田まで行きました

レインボーブリッジ(1993年 上下 2層構造の吊橋 長さ798m 中央径間 570m 幅 49m )

都心と臨海副都心(お台場地区)を結ぶ美しい吊橋。
一般公募により『レインボーブリッジ』との愛称がつけられ、東京の新しいシンボル
として大きな話題になりました。
上の階は首都高速道路、下の階は一般道路と新交通ゆりかもめ、さらに両脇には
無料の遊歩道が通ったいます。これほど多様な交通手段が1つの美しい橋に美しく
収まっている例は、世界的に見ても非常に珍しいです <ツアーの案内資料>。
余談ですが、ポルトガル北部の都市 ポルトのドン・ルイス一世橋は
優美な姿の構造橋( 395m)ですが、最上部に新都市交通メトロと遊歩道、
最下部に一般車窓と歩道が併設されています。

(2026年6月)
ここでUターンして、川を遡っていきます

清洲橋とスカイツリー

小名木川の入口に架かる萬年橋

橋のたもとに座っている松尾芭蕉が見えますか?
両国橋(1932年 3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋 長さ 165m 幅 24m )

行きにはまだライトアップされていなくて、撮り損ないました
『明暦の大火』(明暦3年 1667年)の後、防火や避難の目的で万治2年(1656年)に、
隅田川で最初に架けられた歴史深い橋です。最初はõ『大橋』と呼ばれましたが、
武蔵の国と下総の国境位置していたため『両国橋』と呼ばれるようになりました。橋
のたもとには、火事の際の逃げ場として設けられた『広小路』として栄え、川開きの
花火や大山詣での禊が行われる、江戸の一大スポットでした。
現在の橋は、関東大震災の復興事業として架け替えられました。
<ツアーの案内資料>
乗船地を過ぎて更に遡っていきます
蔵前橋(1927年 3径間連続鋼2ヒンジソリッドリブアーチ橋 長さ 173m 幅 22m )

関東大震災の復興橋梁の一つ。黄金色の3連アーチや力士のモチーフが特徴です。
西側遊歩道の護岸は、かつての蔵の街をイメージした『なまこ壁』が施されています。
周辺の蔵前地区は、おしゃれなカフェや雑貨店、ものづくりの攻防が集まる人気の
下町スポットです。 <ツアーの案内資料>
厩橋(1929年 3径間下路式 3ヒンジタイドアーチ橋 長さ 151m 幅 22m )

隅田川で唯一の下路式 3連アーチ橋。名前の由来は、江戸時代にこの付近に幕府の
馬小屋があったことです。当時は渡し舟が行き交っており、架橋が制限されていた
時代、人々の足として大いに賑わったといいます。『首尾の松』という有名な松があり、
江戸の男たちはここから船にのって吉原遊郭と繰り出しました。帰り道の船上、
『ゆうべの首尾はどうだった?』と男同士でひそひそ話をしたことからこの名が
ついたと言われています。御厩の渡しは葛飾北斎や歌川広重も描いています。
<ツアーの案内資料>
駒形橋(1927年 3径間鋼中路式 2ヒンジタイドアーチ橋 長さ 15m 幅 22m )

関東大震災の復興橋梁の一つ。美しい青いアーチ橋は、アール・デコ調のデザインや
異なる構造を組み合わせた珍しい形状が特徴で東京都の歴史的建造物に指定されて
います。橋の上からは東京スカイツリーや隅田川の景色が一望できます。
また、西岸のたもとにある『駒形堂』は浅草寺の観音像が川から最初に引き上げら
祀られたと伝わる歴史あるお堂で、この橋の由来にもなっています。
<ツアーの案内資料>
吾妻橋とスカイツリー

吾妻橋(1931年 3径間鋼アーチ橋 長さ150m 幅 20m )

安永3年(1774年)に誕生しました。浅草はなかわどの町人たちが自分たちでお金を
出し合って掛けた民営の橋だったので、武士以外の人からは2文(~100円)
の通行料を徴収していました。
最初は『大川橋』と呼ばれていましたが、江戸の東にあることや、東岸の『吾嬬神社』
に通じり道だったことから、明治時代に正式に『吾妻橋』となりました。
<ツアーの案内資料>
筋斗雲とスカイツリー

東武鉄道伊勢崎線隅田川橋梁
(1931年 3径間連続中路式下吊りワーレントラス橋 長さ 166.0 m 幅 8.5 m)

月も顔をのぞかせます

20;00 夜の川旅を終え、無事戻ってきました

天気にも恵まれ、爽やかな川風に吹かれながらの隅田川巡航、
思い出深い一夕を過ごすことができました
帰りは、大江戸線で新宿に出ましたが、京王線が事故で運転見合わせ、
急遽小田急多摩センターからタクシーでご帰館となりました
開放的なオープンボートで眩しい夜のクルージング、東京の夜の風景を気持ちの良い川風を感じて楽しもう!という触れ込みの
『夏の隅田川大江戸ライトアップクルーズ』(阪急交通社)に行ってきました
集合は,18;00 JR両国駅西口です

先ずは腹拵え 旧両国駅を改装した

両国江戸NOREN街の、土俵を囲む

日本ばし やぶ久 へ

せいろと夏野菜の天麩羅を頂きます

土俵際には、照ノ富士(伊勢ケ濱親方)の横綱も飾ってあります

集合後、ガイドさんの案内で、国技館の前を通って

乗船場へ向かいます

川下から、『開放的なオープンボート!?』がやってきました

甲板に椅子だけが並んだ台船です
新大橋(1977年 2径間連続鋼射張橋 長さ170m 幅 24m )

元禄6年(1693年)に隅田川で2番目に架けられた橋です。歌川広重の浮世絵や
ゴッホの描いた絵画のモデルとしても知られ、関東大震災の際には周囲の橋が崩落
する中で無事残り、多くの命を救った『タスケ橋』の逸話が残る、歴史と現代的な
美しさが調和したスポットです。両国橋(大橋)の下流側に『新しい大橋』として
架けられたのが名前の由来です。
東側の深川エリアは、かって松尾 芭蕉が暮らした『芭蕉庵』がおかれ、芭蕉ゆかり
の物やエピソードが一杯です。 <ツアーの案内資料>
清洲橋(1928年 鋼3径間連続自碇式補剛吊橋 長さ186m 幅 26m )

ドイツ・ケルンの吊橋をモデルにした『震災復興の華』と称される優美な吊橋で、
2007年に国の重要文化財に指定されました。日本初の自碇式補剛吊橋という珍しい
当時の最先端の形式を採用しており、それが女性的な美しさがあると言われ、下流に
架かる永代橋の男性的なダイナミックスさと合わせて人気があります。
<ツアーの案内資料>
DAIWAリバーゲート

『門』をイメージしたデザインとビル風の軽減の風抜きの穴だそうです
隅田川大橋長さ(1979年 鋼3径間連続桁橋 長さ 196 m 幅 30 m )
高速道路と上下2層となっていて、ライトアップもなかったので、
写真を撮り損ないました
永代橋(1926年 鋼3径間タイドアーチ(下路式) 長さ185m 幅 22m )

元禄11年(1698年)に初めて架けられました。5代将軍徳川綱吉の、50歳を祝う橋
として架橋されたといいます。江戸と深川を結ぶ重要な橋として多くの人に親しまれ
ました。赤穂浪士も本所吉良邸から泉岳寺へ向かう際に渡ったといいます。
文化4年(1804年)には、富岡八幡宮の祭礼に向かう大勢の人で混雑し、橋が崩落して
多数の犠牲者を出した悲劇の歴史もあります。
<ツアーの案内資料>
中央大橋(1993年 2径間連続鋼斜張橋 長さ211m 幅 25m )

隅田川とセーヌ川との友好河川提携記念し、フランスの会社が日本の『兜』を
イメージして設計しました。橋の上には当時のパリ市長ジャック・シラク氏から
贈られたブロンズ像『メッセンジャー』が置かれています。
この橋の完成により、当時開発中だった高層マンション群『大川端リバーシティ21』
から都心が一気に身近になりました。また地震や火災などの災害時に。川を渡って
安全な都心側へ避難するための頑丈なルートが確保されました。
<ツアーの案内資料>
余談ですが、凜のパパは、1996年、勤務先が新川にあったことから、地元の
『新川越一』町会の一員として富岡八幡宮の十五番神輿を担ぎました

石川島灯台跡

江戸時代の常夜灯を再現したものです。慶応2年(1866年)に、隅田川河口や品川沖を
行き交う船の安全の為、人足寄場の収容者たちによって築かれました。油絞りの利益を
使って建てられた六角二層の常夜灯で、周辺の漁師たちにとても喜ばれました。
<ツアーの案内資料>
佃大橋(1964年 3径間連続鋼床鈑箱桁橋 長さ476m 幅 25m )

橋の向って左側が、正保元年(1644年)に埋め立てられた佃島です
東京オリンピック開催に伴う交通渋滞の緩和を目的に架けられました。それまでは、
江戸時代初期(1645年頃)から『佃の渡し』と呼ばれる渡し舟が運行されており、
江戸市中と結ぶ唯一の交通手段でした。隅田川流域で最後まで残っていた渡し舟
でしたが、佃大橋の竣工により、320年以上の歴史に幕を下ろしました。
戦後初めて隅田川に架けられた橋であり、大きなブロックをあらかじめ製造し、
日本最大の会場クレーン船で一気に組み立てるという、当時としては最新の工法が
採用されました。 <ツアーの案内資料>
聖路加タワー

聖路加病院(St. Luke's International Hospital)の敷地内で最も隅田川寄りの
街区に建設された超高層ビルディングの棟で、47階建てと38階建ての高低差がある
特徴的なデザインのツインタワー構造で、東京湾岸のスカイラインを造形する
代表的な建築物として知られています。 <Wikipedia>
勝鬨橋(1940年 長さ476m 幅 25m
シカゴ型双葉跳開橋(可動橋)+両側 鋼タイドアーチ橋(3径間))

昭和15年開催予定だった日本万国博覧会(その後開催中止)のメインゲートとして
竣工しました。当時は大型船が出入りしていたため、中央部が可動式となっており、
完成当初は1日数回開いていました。しかし交通量の増加に伴い、1970年11月に開閉を
停止しています。国内最大級の可動支間ヲもつ技術的完成度の高い橋として、2007年に
国に重要文化財に指定されました。 <ツアーの案内資料>
橋の中央をハの字に開く運転所

築地大橋(2015年完成 2018年開通 3径間連続中路式鋼アーチ橋 長さ245m 幅 32m~48m )

橋の右側手前が築地市場跡、奥が浜離宮恩賜公園です
隅田川の最下流に位置し、最も新しい橋です。2つのアーチが外側に開いて立っており、
力学的に安定しながらも美しさも際立っています。築地から豊洲への市場移転が大幅に
遅れたため、開通は2018年となり、その間、夜間のライトアップだけが静かに点灯する
『渡れない幻の橋』として話題となりました。 <ツアーの案内資料>
高層ビルの谷間に東京タワーが見えています

竹芝桟橋 小学校の臨海学校は、ここから船で千葉県保田まで行きました

レインボーブリッジ(1993年 上下 2層構造の吊橋 長さ798m 中央径間 570m 幅 49m )

都心と臨海副都心(お台場地区)を結ぶ美しい吊橋。
一般公募により『レインボーブリッジ』との愛称がつけられ、東京の新しいシンボル
として大きな話題になりました。
上の階は首都高速道路、下の階は一般道路と新交通ゆりかもめ、さらに両脇には
無料の遊歩道が通ったいます。これほど多様な交通手段が1つの美しい橋に美しく
収まっている例は、世界的に見ても非常に珍しいです <ツアーの案内資料>。
余談ですが、ポルトガル北部の都市 ポルトのドン・ルイス一世橋は
優美な姿の構造橋( 395m)ですが、最上部に新都市交通メトロと遊歩道、
最下部に一般車窓と歩道が併設されています。

(2026年6月)
ここでUターンして、川を遡っていきます

清洲橋とスカイツリー

小名木川の入口に架かる萬年橋

橋のたもとに座っている松尾芭蕉が見えますか?
両国橋(1932年 3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋 長さ 165m 幅 24m )

行きにはまだライトアップされていなくて、撮り損ないました
『明暦の大火』(明暦3年 1667年)の後、防火や避難の目的で万治2年(1656年)に、
隅田川で最初に架けられた歴史深い橋です。最初はõ『大橋』と呼ばれましたが、
武蔵の国と下総の国境位置していたため『両国橋』と呼ばれるようになりました。橋
のたもとには、火事の際の逃げ場として設けられた『広小路』として栄え、川開きの
花火や大山詣での禊が行われる、江戸の一大スポットでした。
現在の橋は、関東大震災の復興事業として架け替えられました。
<ツアーの案内資料>
乗船地を過ぎて更に遡っていきます
蔵前橋(1927年 3径間連続鋼2ヒンジソリッドリブアーチ橋 長さ 173m 幅 22m )

関東大震災の復興橋梁の一つ。黄金色の3連アーチや力士のモチーフが特徴です。
西側遊歩道の護岸は、かつての蔵の街をイメージした『なまこ壁』が施されています。
周辺の蔵前地区は、おしゃれなカフェや雑貨店、ものづくりの攻防が集まる人気の
下町スポットです。 <ツアーの案内資料>
厩橋(1929年 3径間下路式 3ヒンジタイドアーチ橋 長さ 151m 幅 22m )

隅田川で唯一の下路式 3連アーチ橋。名前の由来は、江戸時代にこの付近に幕府の
馬小屋があったことです。当時は渡し舟が行き交っており、架橋が制限されていた
時代、人々の足として大いに賑わったといいます。『首尾の松』という有名な松があり、
江戸の男たちはここから船にのって吉原遊郭と繰り出しました。帰り道の船上、
『ゆうべの首尾はどうだった?』と男同士でひそひそ話をしたことからこの名が
ついたと言われています。御厩の渡しは葛飾北斎や歌川広重も描いています。
<ツアーの案内資料>
駒形橋(1927年 3径間鋼中路式 2ヒンジタイドアーチ橋 長さ 15m 幅 22m )

関東大震災の復興橋梁の一つ。美しい青いアーチ橋は、アール・デコ調のデザインや
異なる構造を組み合わせた珍しい形状が特徴で東京都の歴史的建造物に指定されて
います。橋の上からは東京スカイツリーや隅田川の景色が一望できます。
また、西岸のたもとにある『駒形堂』は浅草寺の観音像が川から最初に引き上げら
祀られたと伝わる歴史あるお堂で、この橋の由来にもなっています。
<ツアーの案内資料>
吾妻橋とスカイツリー

吾妻橋(1931年 3径間鋼アーチ橋 長さ150m 幅 20m )

安永3年(1774年)に誕生しました。浅草はなかわどの町人たちが自分たちでお金を
出し合って掛けた民営の橋だったので、武士以外の人からは2文(~100円)
の通行料を徴収していました。
最初は『大川橋』と呼ばれていましたが、江戸の東にあることや、東岸の『吾嬬神社』
に通じり道だったことから、明治時代に正式に『吾妻橋』となりました。
<ツアーの案内資料>
筋斗雲とスカイツリー

東武鉄道伊勢崎線隅田川橋梁
(1931年 3径間連続中路式下吊りワーレントラス橋 長さ 166.0 m 幅 8.5 m)

月も顔をのぞかせます

20;00 夜の川旅を終え、無事戻ってきました

天気にも恵まれ、爽やかな川風に吹かれながらの隅田川巡航、
思い出深い一夕を過ごすことができました
帰りは、大江戸線で新宿に出ましたが、京王線が事故で運転見合わせ、
急遽小田急多摩センターからタクシーでご帰館となりました
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