2006年4月28日(金)
去る4月22日(土)、神田川に掛かる万世橋横の神田須田町にある交通博物館を訪ねました。
同館は、1936年万世橋駅構内に併設されて開館しましたが、今年5月14日に70年の歴史の幕を閉じることになっています。
古さを感じさせない建物に、小学校に上るまえから、父親に何度も連れて行って貰った懐かしさと、閉館の記念に公開(~5月14日、要予約)されている旧万世橋駅遺構を見学するのが目的でした。
同館は、1936年万世橋駅構内に併設されて開館しましたが、今年5月14日に70年の歴史の幕を閉じることになっています。
古さを感じさせない建物に、小学校に上るまえから、父親に何度も連れて行って貰った懐かしさと、閉館の記念に公開(~5月14日、要予約)されている旧万世橋駅遺構を見学するのが目的でした。
開館当初から、現代的な佇まいを見せる、博物館階段部分。
1階に展示されている国の重要文化財150型1号機関車(1997年指定)。
これもSAYONARA 交通博のヘドマークを付けたC57135号蒸気機関車。
運転席横の銘板。
運転席横の銘板。
その昔、日がな1日飽かずに眺めていた、HOゲージ模型運転場(20m×5m)。
左から1/4の辺りに、福知山線で脱線・横転した207系電車が見えます。
左から1/4の辺りに、福知山線で脱線・横転した207系電車が見えます。
いよいよ、日頃は公開されていない初代万世橋駅遺構の見学です。
20人の集団で案内人に引率されて、高架下部分に進みます。
20人の集団で案内人に引率されて、高架下部分に進みます。
予約でやっと手に入れた入場パス。
万世橋駅は、1912年中央本線の起点駅として開業以来、43年に営業を停止するまで数奇の運命を
辿りました。
辿りました。
関東大震災で焼け落ちた初代駅舎は、現在の東京駅を設計した辰野 金吾の作です。
ライトアップされた留置線付近高架下煉瓦アーチとガーダー。
幻想的な煉瓦アーチ。
ホームへの登り口、駅名板は今回の公開のために複製されたものです。
踊場で左折して、ホームに向かって、階段を登ります。
途中、旧小荷物通路を跨ぐ橋の上では、目の前に留置高架線のガーダーが見られます。
階段の最上部は、透明なアクリル板で覆われたホーム展望場所となっていて、御茶ノ水方向の目の前に、
復刻された駅名標が立てられていました。
ホーム右側、神田川との間に、中央線の上り線が敷かれています。
復刻された駅名標が立てられていました。
ホーム右側、神田川との間に、中央線の上り線が敷かれています。
博物館とホームに挟まれた中央線下り線を高尾行き快速電車が通り過ぎて行きます。
神田駅までの道沿いには、今でも煉瓦アーチが連なっており、上を中央線の快速電車や
東京駅発着の特急列車などが走行音を響かせています。
下には、倉庫や車庫、店舗などが軒を連ねています。
東京駅発着の特急列車などが走行音を響かせています。
下には、倉庫や車庫、店舗などが軒を連ねています。
初代万世橋駅と同じく辰野金吾の手になる東京駅も、戦後60余年を経て、戦災で焼失したドームと
3階部分を復活させる工事が、2010年度末の完成を目指して、今年後半から始まります。
3階部分を復活させる工事が、2010年度末の完成を目指して、今年後半から始まります。
(2006年4月22日 撮影)